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Kasamatsu Shiro
Ibaraki, Japan |
笠松紫浪:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かさまつ しろう(Kasamatsu Shiro):本名は笠松 四朗(かさまつ しろう)
1898年1月11日 - 1991年6月14日(明治31年 - 平成3年)
大正時代から昭和時代にかけての浮世絵師、版画家。
鏑木清方の門人。本名は笠松四郎。紫浪と号す。
明治31年(1898年)、東京、浅草に笠松弥三次の4男として生まれる。
明治45年(1912年)4月、14歳の時、東京市立精華高等小学校を卒業後、
鏑木清方に入門、伊東深水、川瀬巴水に続いて日本画を学んだ。
大正4年(1915年)に17歳で、美術団体「巽画会」に初出品、入選をした。
また、同年、清方の門人たちによって結成された「郷土会」に作品を発表し続けている。
大正8年(1919年)、渡辺版画店から新版画「青嵐」を第一作として発表、
昭和16年(1941年)頃までに数10点の木版画を版行、新版画運動の旗手として活躍している。
第二次世界大戦後、昭和23年(1948年)頃から昭和25年(1950年)まで版元の渡辺金次郎から7点の木版画を発表し、
昭和27年(1952年)から昭和35年(1959年)には芸艸堂から風景版画100点近くを発表した。
なお、昭和29年(1954年)頃には三鷹に住み、
昭和30年(1955年)以降は自画自刻自摺りによる創作版画の作品も制作、多くの秀作を残している。 |
とりいれ |
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潮来(水郷の娘) |
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水郷の雨 |
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昭和28年(1953) 芸艸堂版・大判 |
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昭和29年(1954) 芸艸堂版・大判 |
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昭和30年代 自刻自摺・中判 |
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背景の山は筑波山?(審議品) |
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※"とりいれ"は場所が書いてはありませんが背景の山が筑波山に余りにも似ている為、かさまつ三保子さんにお伺いしたところ、そうではないかとの事でした。
又、同様な"田うえ"の題名が付いている作品は長野方面との談 (製作年も同一ですし 私的には筑波山麓と思うのですが?)
関連項目:昭和20年(1945)長野県下高井郡山ノ内町沓野に5年間疎開(上条駅付近にも似た山がある) |
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"とりいれ"の構図に近い筑波山の絵葉書を探してみました。
(石岡名所)恋瀬川より筑波山を望む
筑波山:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
つくばさん(Mt.Tsukuba)は、関東地方東部の茨城県つくば市北端にある標高877mの山。
西側の男体山(標高871m)と東側の女体山(標高877m)からなる。
雅称は紫峰(しほう)。筑波嶺(つくばね)ともいう。 |
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資料映像:
昭和33年 浅草 お酉さまの会 宴会風景 笠松紫浪も出席? |
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Artworks by Kasamatsu Shiro |
2013.09.26
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