@mito_city
好文亭 koubuntei
袋田の瀧 公開予定
県内作品
PDF版
TOP
Kaimonbasi
Ibaraki
, Japan
海門橋
:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(
Wikipedia
)』
抜粋:一部修正してあります。
那珂川河口における最初の橋となった初代海門橋は1895年(明治28年)11月9日に賃取り橋(有料の橋)(木橋)として開通。
しかし、翌1896年(明治29年)に洪水で流失した。
2代目海門橋は1898年(明治31年)に再び賃取り橋(木橋)として架け替えられ開通した。
その後1913年(大正2年)3月に茨城県に移管され無料通行となった。
<-------------- 追加事項 ------------->
3代目は現在の海門橋の上流側に大正7年12月完成しており、
4代目完成まで使用されましたがいずれの橋も損傷と補修を繰り返していたようようです。
※出典:
市報ひたちなか平成17年3月10日発行246号
(5) 市のシンボル海門橋
<-------------- 追加事項 終了------------->
しかし、1926年(大正15年)9月26日15時30分頃、海虫による腐食が原因と見られる落橋事故を起こし、
長さ9.5メートルが落下し死傷者が多数出た。損傷箇所は陸軍水戸工兵隊により修復された。
3代目
4代目
の海門橋は1930年(昭和5年)11月19日に永久橋化を企図した4径間コンクリートアーチ橋として完成し、
併用橋として水浜電車(のちの茨城交通水浜線)の路面電車運行も開始されたが、
1938年(昭和13年)6月30日に洪水のため流失した。
1959年(昭和34年)の
4代目
5代目
海門橋開通時点でまだ水浜線は存続していたが大洗が終点になっており、
4代目
5代目
の橋は道路専用橋として建設されて再びこの橋を電車が渡ることはなかった。
※Wikipedia :
海門橋
の項目には誤りがあるようです。
常陸風景
海門橋
1~3代
1-3代目の海門橋:明治28年(1895) - 昭和5年(1930):
併設橋として以後も使用
海門橋はいろいろなサイトで紹介されていますが何代目であるかの表記に誤記があるようです。
このページでは下記の資料を参考にして表記してあります。
市報ひたちなか平成17年3月10日発行246号
(5)
市のシンボル海門橋
4代目の海門橋
旧水戸城の古絵葉書
TOP
Old Picture Postcard
2013.10.05