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御届 明治一九年八月廿一日
画工 京橋区八丁堀一丁目廿三番地 安達平七
出版人 京橋区尾張町二丁目一番地 佐々木豊吉
画中落款: 松斎吟光
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松斎吟光:
別号・安達吟光:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
江戸後期-明治時代の浮世絵師
生没年未詳
師系不詳 姓は安達、名は平七
初め松雪斎銀光と称し、明治7年(1874年)以降、吟光と改名する
真匠、松斎とも号す
日本橋堀江町や南鍋町に住んだ
作画期は明治3年(1870年)から明治33年(1900年)頃の間で、
明治7年(1874年)には「講談一席読切」という大判錦絵50番続の役者絵を銀光の名で描く
明治10年(1877年)に起こった西南戦争の錦絵の「鹿児島新聞・河尻本陣図」、
「鹿児島新聞・熊本城戦争図」の辺りから活動が目立ってくる
また安達吟光の画名で「東京名所」の作品がある
その後壬午事変、日清戦争、義和団の乱、議会関係といった報道画ともいえる錦絵が続き、
その他に役者絵、芝居絵、名所絵も描いている
また「古今名婦鏡」や「貴女裁縫之図」などといった美人風俗画も良く知られている |
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